戦争の頃の話
2016/09/28(水) 12:00:00
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354 名無しさん@どーでもいいことだが。 sage 2016/08/15(月) 10:54:37.64 SiPkToSI 前に祖父の米寿祝いに親戚で旅行にでかけたんだけど その時に「自分は昔駆逐艦に乗っていた」と戦争の頃の話を初めて聞いた 後で調べたら本当にその名前の艦があって(疑ってたんじゃないけど) そうだったんだなぁと思ったんだけど そういう話って思えば今まで聞く機会がなかったんだろうか 小学校のころとか一回もお祖父さんから聞いた記憶がないんだよな
とにかく元気な内に少しでも聞けて良かった、お祖父さんまだ元気だけど!
363 名無しさん@どーでもいいことだが。 sage 2016/08/15(月) 12:07:47.53 dg3MM/AM 亡くなった祖父がシベリアの捕虜だった 凄く苛酷な環境だったみたいで凍傷の痕がひどかった記憶がある 戦争前は利発な人だったらしいけど帰って来たら別人のように暗く無口になってしまったそうだ 戦争の話を聞く宿題が小学生の時にあって祖父に尋ねた時、何も話してくれなかったけど震えていたな
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コメント
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辛い体験を聞きだして来いって、ずいぶん無神経な宿題だよね |
#-|2016/09/28(水) 15:21 [ 編集 ]
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※1
小学生の頃にそういう宿題あったよ
それで、祖父に戦争の話を尋ねたら
祖父は当時まだ10代前半だったらしく
「東京大空襲の炎がここ(関東の端)からも見えた。花火みたいで綺麗だった。慌てて逃げ出した行商が大量のスルメを落として行ったので拾った。ラッキーだった」
っていう話しか聞けず、戦争の大変さがイマイチわからなかった |
#-|2016/09/28(水) 16:29 [ 編集 ]
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だがまあこう言う生きた証言、感情の伴う言葉を聞かないと
教科書の中の出来事で終わってしまうのも事実だからなあ |
#-|2016/09/28(水) 16:50 [ 編集 ]
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地元に731部隊(の下っ端兵卒)だったという人がいた。
孫に話せたのかな…。 |
#-|2016/09/28(水) 19:45 [ 編集 ]
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うちの死んだ爺さんもシベリア抑留されてたけど
特に暗い人ではなかったなあ。
割とメンタル強い人だったのかもしれん。 |
#-|2016/09/28(水) 20:55 [ 編集 ]
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シベリア抑留はマンガ『凍りの掌』が本当におすすめ。
つらさのあまり本人も忘れようとしていた体験だけど、
娘さんが聞き取ってマンガにしたことで、
最終的には本人も救われたのだそうだ。 |
#-|2016/09/28(水) 22:29 [ 編集 ]
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1990年頃には、自分のいた大学の医学部にまだ
731部隊出身という教官がいたよ。 |
#-|2016/09/28(水) 22:32 [ 編集 ]
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中学の先生がシベリア抑留から帰ってきた人だった。
英語の先生だったのに授業で収容所のお話をいっぱいしてくれた。
ロシア語のカチューシャを教えてもらった。30年たったけどまだ歌えるわ。 |
#-|2016/09/29(木) 01:30 [ 編集 ]
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うちの祖父もシベリア抑留経験者だった
同じ部隊で捕えられた人々はみんな拷問を受けて
最終的には手足を切られてダルマにされてたとか
祖父も拷問を受けて足の指が少し短くなっていた
祖父はたまたまドイツ語が話せたので
通訳として生かしてもらえたそうだ
(ロシア語をドイツ人の捕虜が訳して、
それを祖父が聞いて日本人捕虜に伝える役目)
でもとても明るい人で
僕ら孫達の面倒もよく見てくれたいい祖父という印象しかない
ただ祖父の足の指を見るときだけ戦争のことを思い出す |
#-|2016/09/29(木) 09:39 [ 編集 ]
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震えてるリアクションだって十分な「証言」だろう
無神経とか言って何も聞かず何も語り継がないと
傲慢な人間はすぐ暴走する
やり方に工夫は必要かもしれないがこういう教育は
有益だと思う |
#-|2016/09/29(木) 19:48 [ 編集 ]
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