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シベリア抑留の話

2006/08/03(木) 12:13:59
1 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2006/07/30(日) 19:32:01 ID:mkR968jk
大日本帝国最後の戦闘に参加した俺が何でも答えるよ。
シベリア抑留についてもおk


3 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 19:36:19 ID:mkR968jk
トリップつけてみた。


4 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 19:49:09 ID:mkR968jk
ちなみにこの書き込みは祖父(86)と孫のコラボレーションでお送りします。

6 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 20:00:00 ID:mkR968jk
北千島占守島第九一師団第一砲兵隊第二中隊所属
階級は軍曹っす。


7 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 20:01:34 ID:mkR968jk
あ、いま確認したら判任官だって。スマソ

10 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 20:14:43 ID:mkR968jk
1.戦車第十一連隊とは同一行動はとりませんでしたが、陣地に入っていました。
2.第一砲兵隊は73旅団直轄でした。

12 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 20:23:18 ID:mkR968jk
>とありますが、お祖父さんはノモンハンやガダルカナルの生き残りですか?
昭和15年2月~昭和18年3月まで満州牡丹こうしょうすいようけんすいせい(漢字が出てこない)に駐屯、北部二十部隊でした。

14 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 20:27:06 ID:mkR968jk
内地では第八師団野砲八連隊でしたが、満州では北部二十部隊と称しました。
中隊は三八式野砲。担当は通信です。

15 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 20:30:03 ID:mkR968jk
祖父がいろいろ言い始めたので独り言モードでちょっと書きます。
ボケてはいないのですが、いまいち掲示板のシステムが分かっていないもので。

「昭和18年3月除隊し、昭和19年6月召集、北千島へ派遣されました。」

16 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 20:33:54 ID:mkR968jk
「召集前から終戦まで青年学校の教職員でした。終戦と同時に新制中学校の教職員になりました」

18 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 20:36:25 ID:mkR968jk
あと、質問は大歓迎ですので、よろしくお願いします。
祖父はもう86でして、自分が体験したことを若い人に伝えたいと最近いうようになりました。
いままではあまり戦争に行ったことを語ろうとはしなかったのですが・・・

で、私が2ちゃんねるというところでいろいろ聞いてもらったらいいんじゃない?と言ったら乗ってきたのです。


20 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 20:39:42 ID:mkR968jk
>昭和19年に再招集されて、91師団に編成されて北辺の守りについたわけですか
>お疲れ様でした。
「ありがとうございます」

「昭和十五年二月から最初の3年間は満州の東部国境警備をしておりました。」


21 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 20:41:28 ID:mkR968jk
>有線、無線、信務のどれを担当してました?

「有線です。しかし占守島では実際の戦闘にも参加しました。」

24 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 20:47:32 ID:mkR968jk
「除隊前の北部二十部隊もフィリピンへ行く途中で輸送船が撃沈されたらしいので幸運でした。」

26 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 20:52:11 ID:mkR968jk
「陣地の中に入っていたので、敵の上陸舟艇を監視し隊長に報告していました。」
「こちらの洞窟から大砲を発射して、海岸へ到達するソ連の上陸用舟艇を撃沈しました」
「私たちは陣地に入っていたので詳細は分かりませんでしたが、戦車十一連隊が陣地の南方において戦闘をしていたようです。」

29 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 21:02:13 ID:mkR968jk
> ということは、お祖父さんは海軍片岡飛行場の北部に陣地を構えていたのですね?
>今井崎と潮見崎の間に
「国端崎の灯台近くの陣地にいました」
「ソ連の上陸舟艇が来たときは、濃霧のため最初はまったく見えませんでした。」

どのくらいの濃霧かというと、立っている自分の足元が見えなかったらすい。

32 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 21:07:45 ID:mkR968jk
「池田隊長は将校部隊を編成してシベリアに抑留されました。」
「私たちは武装解除後、カムチャツカへ連行されました。」

33 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 21:16:39 ID:mkR968jk
>その時点で、竹田浜にはソ連軍の司令部が上陸していたようですが
>その時は何をしていました?

「そのときは洞窟にこもっていたので、外部の状況はまったく分かりませんでした。」
「濃霧でまったく見えませんでしたが、普段の訓練どおり海岸線に大砲を撃ち、上陸用舟艇を5・6隻撃沈しました。」
「戦闘終結後、その場所を見たらソ連兵が何百人もごろごろ転がっていました」

34 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 21:19:49 ID:mkR968jk
まだ2ちゃんねるのノリが分かっていないみたい。
何人くらいいるのかなとか聞いてるし。

37 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 21:25:17 ID:mkR968jk
「停戦命令は、部隊長がソ連軍の将校といっしょにきて叫んだので停戦したことが分かりました」
「停戦後、武器本体の破壊はせず大砲の照準器をはずして洞窟を退去しました。」

38 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 21:27:01 ID:mkR968jk
>濃霧なのに上陸用舟艇を5・6隻撃沈できるとは、かなりの練度ですね。
「戦闘の際は1200発発射しました。普段は洞窟の整備と発射訓練ばかりでしたので的中率が良かったのだと思います。」


39 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 21:28:43 ID:mkR968jk
>36
そうみたいっすねー
でもいろいろ聞いてもらって祖父も楽しそうにしていますよ(^^)

44 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 21:35:36 ID:mkR968jk
>ほかの竹田崎や小泊崎、城ヶ崎などに配備された砲兵部隊はどうなったのでしょうか?
「我々は正式の武装解除ではなく停戦後すぐに歩兵と速射砲と工兵の一部がソ連軍の輸送船に乗せられてカムチャツカの西海岸へ連行されたため他の砲兵部隊については分かりません」
「総数は国端崎の守備についていた約130名です。」

47 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 21:44:23 ID:mkR968jk
>樺太は日本の領土だと思いますか?
「樺太も千島も日本の領土です。」

>戦闘は火力ですね、占守島の戦いは戦車十一連隊だけが戦ったように見られるけど
>やはり砲兵は戦場の女王ですね。
「ソ連軍上陸部隊の大部分は軍司令部に向かいましたが、一部は国端崎へ攻撃してきました。」
「国端崎を守備していた歩兵、速射砲、工兵の一個小隊が国端崎を死守していました。」
「歩兵その他の面々は当初陣地外にいましたが、攻撃が激しくなってきたため、洞窟陣地内へはいりました」
「彼らはその後陣地の何箇所かの入り口を死守しました」

50 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 21:49:52 ID:mkR968jk
>シベリアに未だにロスケが徘徊している事について、
>感想してください。
「樺太、千島をロシアが不法占拠していることに対してですが、現時点では武力を行使することは出来ませんので早急に平和条約を結んで外交交渉で取り返すしかないと思います」

>お祖父さんはソ連のどこの港に連行されて、そのあとどの強制収容所に送られたのですか?
「カムチャツカ西海岸のオバラという漁港に上陸させられ、カムチャツカ中心部で2年間重労働をさせられました。」
「3年目にカムチャツカの軍港のペトロパブロフスクから乗船し樺太の真岡へ連行されました。」
「樺太では1年間重労働し昭和23年10月に函館へ帰還しました。」


52 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 21:54:31 ID:mkR968jk
>シベリアでは元首相近衛文麿の嫡子で、優秀だった近衛文隆が殺されましたが
>知っていますか?
「北千島へおったもので、シベリアのことは分かりません・・・」

>お祖父さんが戦闘参加したのはこのときですか
やはり三十八式歩兵銃で射撃したのでしょうか?
「一個小隊が三八式野砲を発射してロシアの上陸を阻止していました。」
「野砲隊に銃はまったくありませんでした」
「しかし、戦闘中に陣地の近くに倒れていたソ連兵からマンドリンと呼ばれていた自動小銃を2丁鹵獲し、それで戦闘を行いました。」

57 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 22:01:37 ID:mkR968jk
>尖閣諸島・東シナ海油田と、樺太・千島列島。
>どちらをより日本政府に、重視してもらいたいですか?
「樺太の北半分北緯50度以北はもともとソ連領でしたが、南半分は日本領でした。」
「現在ロシアが開発を進めている油田は北緯50度以北にあるため、返還要求は出来ないと思います」
「しかし、千島列島は日本固有の領土ですので返還してもらうべきだと思います。」

「戦闘に参加したものとしては、北方領土に思い入れがありますので樺太・千島列島を重視してもらいたいところではあります」

59 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 22:09:32 ID:mkR968jk
>北辺の九十一師団の奮闘が、スターリンの北海道占領計画を遅らせ
>なんとか北方四島の占領と南樺太だけで終わらせることができたのは
>無名の幾千幾万の将兵の苦労があったことだと、一軍事マニアとして感慨深いものがあります。
「そういって戴けると誇らしい気持ちになりますが、いまだに返還されないのはまことに残念であります。」

>PPSh1941は射程が短いから、洞窟陣地近くでの接近戦ですね。
「洞窟入り口から攻撃されるのは大砲で防げないため、鹵獲したマンドリンで戦闘しました」

俺:「じいちゃん。なんで三八式歩兵銃がなかったの?砲兵にも持たせたらいいのに」
祖父:「野砲隊一個小隊に銃は2丁しかなかったよ。歩兵に銃を持たせると砲兵には持たせる余裕が既になかったんだ。」


60 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 22:12:43 ID:mkR968jk
>上の方に1200発とありますが、砲一門につき何発程度の砲弾が支給されていましたか?
「通信担当だったので、支給されていた砲弾数は分かりません。分隊長は把握されておられたと思います。」
「戦闘終結後、小隊長が1200発撃ったといっておりました」

63 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 22:15:54 ID:mkR968jk
「当初野砲は国端崎に4門あったのですが編成替えにより、野砲が1門になりました。」
「砲弾がどのように移動になったのか小隊長と分隊長しか把握していなかったと思います。」

64 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 22:17:42 ID:mkR968jk
>軍隊生活は大変だったと思いますが、ふっと気が休まるようなときなんかはあったんでしょうか?
「直接戦闘はありませんでしたが、カムチャツカから飛来するアメリカの戦闘機が爆弾を毎日のように投下していくため心の休まるときはありませんでした・・・」


66 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 22:20:59 ID:mkR968jk
>国端崎の洞窟陣地は、灯台周辺の洞窟を改造したものでしょうか?
「野砲隊が国端崎守備を命ぜられたあとで新規で掘ったものでした」

>洞窟はやはり他の砲を設置した洞窟と地下で連結された、非常に強固なものだったのでしょうか?
「他の隊が守備している洞窟とは連結していませんでした。」
「千島一と呼ばれる洞窟陣地でした。そのおかげで生き延びました。」


70 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 22:33:52 ID:mkR968jk
>守備隊生活の時は、どのような食生活をしていましたか?
>行者ニンニクとか、トド肉とかを食べたことはありますか?
「支給された食料しかありませんでした・・・しかも定量の半分」
「海岸から昆布をひろってきて不足分を補給しました」

72 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 22:37:44 ID:mkR968jk
「我が軍の速射砲は故障の連続でしたが、三八式は明治に作られただけあってまったく故障しませんでした」
「日本に個人が携行する自動小銃がなかったため、自動小銃は占守で初めて見ました」

>では、最も戦ってみて恐ろしかった兵器なり、武器は何でしたか?
「マンドリンとチェコ式の自動小銃です。」
「当時日本軍には個人が携行する自動小銃がなかったため、自動小銃は占守ではじめてみました」
「三八式歩兵銃は単発でしたが、彼らの自動小銃は弾をばら撒くため大変おそろしい目にあいました」
「もっとも鹵獲してからは逆に非常に活躍しましたが」

73 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 22:39:09 ID:mkR968jk
>日本が負けるのでは、という予感などはありましたか?
「負けるとか勝つとかは考える余裕はありませんでした」

74 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 22:40:33 ID:mkR968jk
俺:「そうすっと、戦闘が終結して気が抜けてしまったとか?」
祖父:「気が抜けるも抜けないも、すぐに捕虜になったので気が休まらなかったよ」
祖父:「捕虜は全員銃殺されると思い込んでいたしな」

76 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 22:46:54 ID:mkR968jk
>占守島守備隊の総兵力って、どの程度だったのだろう? 
>第九一師団の全力?
「第九一師団のほぼ全数、約3万。」
「あと飛行隊と海軍がいました。こちらの兵力はわかりません。」

78 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 22:58:28 ID:mkR968jk
「シベリアへ行った人々は大変だったと思いますが、私がカムチャツカへ抑留されたのは幸いでした」
「130名中、栄養失調で1名、夜間に小便しにいって銃殺されたのが1名。抑留された人々の中では被害がかなり少なかったと思います。」

82 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 23:06:31 ID:mkR968jk
「師団から直接命令を受けて戦闘したのは歩兵と戦車部隊」
「事前に自衛の命令があったため国端が戦闘に参加」
「それ以外の部隊は、直接戦闘に参加する前に武装解除されました。」
ソ連軍との戦闘が開始されてから武装解除まで約3日間。

正式の武装解除ではなかった上に戦闘部隊だったため、いつ殺されるか分からずとても恐ろしかったそうです。
他の正式な武装解除を受けなかった部隊は皆殺しにされたという話も聞きましたし。

84 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 23:17:15 ID:mkR968jk
「既に洞窟の周囲は包囲されており、武装解除があと1日遅れていたらソ連の主力がやってきて火炎放射器で殺されていたかも知れません」

>どのようにして戦闘に入ったのですか?
>いきなり奇襲上陸され、どう思ったのかも聞きたいです。
「日本が降伏したのは8月15日。その1週間ほど前。満州で戦闘が始まったころ、ロシアの極東艦隊が占守の沖を通過していきました。おそらく防衛の状況を監視して行ったのだと思います」
「戦闘が始まったのが日本が敗戦した3日後の18日。午前0:30ころ。ロシア軍が竹田浜に上陸してきました。」
「深夜にたたき起こされ、濃霧のため、エンジンの音が聞こえるというだけで他になにも分かりませんでした。」
「事前に想定していた上陸地点に発砲したところ、上陸用舟艇が炎上し周囲の状況が分かってきました。」
「ただし、発砲する前にソ連軍が既に1000人程度上陸していたらしいです。それは内陸へ侵攻していたらしいです」
「戦闘に突入した時点ではソ連軍かアメリカ軍かわかりませんでした。」
「あとから考えると、最初のソ連艦隊が沖を通過したのはそのための状況偵察だったのだなと思います」

85 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 23:20:11 ID:mkR968jk
>カムチャッカではどんなことをして働いていたんですか?
>強制収容所で楽しかったことは?

「カムチャツカでは主に牧草かり、あと薪切り、ごくまれに農業にも従事しました。」
「楽しかったのはカムチャツカの温泉(露天風呂)に入ったことです。」
「もっともその温泉も3ヶ月に1回程度ですが。その後、ドラム缶を利用して風呂を作りました。こちらは1週間に1度程度は入れました。」

87 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 23:24:32 ID:mkR968jk
「楽しいことといっても・・・・日曜日はソ連軍も休みに入るため、洗濯したり、風呂に入ったり・・・」
「私は横笛が吹けたので、工兵からもらった横笛を吹いて日曜日などに故郷を偲びました」


89 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 23:31:47 ID:mkR968jk
>15日以降武装解除の準備をしていたそうですが、どの程度まで進んでいたの?
「国端では司令部から離れていたために命令が届かず、作業はまったく進んでいませんでした。」
「18日時点では敗戦についてもまったく知りませんでした。あとで15日が敗戦だったとしり本当に驚きました」

>戦闘終了後のロシア兵の態度は? 暴行等はあったのですか?
「自動小銃を構えて監視されていたので態度はよくわかりません。言葉がまったく通じないため小便することもできない状況でしたから」
「逃げようとしたり、勝手な行動をとろうとすれば射殺される危険がありました。普段はそのようなことはありませんでした」
「一番困ったのは言葉が通じなかったことです。当初は言葉がまったく通じなかったため、カムチャツカではソ連側も作業支持をまったく伝達できず、双方困っていました」
「そのうち、ソ連側に英語がすこしできる将校がやってきたり、私が満州にいた時分にかじったロシア語で通訳のようなこともやったりしました。」


91 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 23:33:59 ID:mkR968jk
「一番困ったのは食料が少なかったことです。カムチャツカの作業場所へ到着するまでの1ヶ月間、黒パンが一日一切れしか配給されずたいへん困りました」
「その後も状況はそれほど好転せず、ロシアにいたときはずっと腹が減りっぱなしでした。」

92 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 23:38:44 ID:mkR968jk
>収容所の食事はどのようなものでしたか?
「最初のうちは、1日に黒パン一切れとカーシャが缶詰で2つ程度でした。」
「一番困ったのが、樺太に移ってからですが、小麦粉の代わりに日本製の粉味噌を配給されたときです」
「おそらく、どこかで発見されたのでしょう」

「向こうはこれでパンが作れると思い込んでおり、これ以外に配給されませんでした」
「仕方がないため、近くの海岸から昆布などを拾ってきて味噌汁をつくって飲みました。」
「あのころが一番健康を害したと思います。」

93 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 23:40:01 ID:mkR968jk
「工兵隊で、栄養失調で一人亡くなったのはこのころだったと思います。」

97 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 23:50:03 ID:mkR968jk
そろそろ夜もふけてきたので、解散としたいと思います。
祖父も非常に楽しかったと言っております。

皆さん、夜遅くまでお付き合いいただいてありがとうございました。
また機会がありましたらよろしくお願いします。

なお、もしこの手の話に興味がありましたら、祖父が編纂した資料を無料で配布いたします。
noroneko7@gmail.com
までメールをください。追加の質問などでも結構です。

それでは皆様、お休みなさいませ。

98 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 23:50:40 ID:mkR968jk
お、失礼しました。最後の質問にお答えします。

99 名前:第一砲兵隊 ◆Gdq4ZoFWsE [] 投稿日:2006/07/30(日) 23:54:47 ID:mkR968jk
>無礼を承知でお聞きししたいのですが。
>捕虜になられて抑留されたとき祖国や天皇陛下に対して恨みを
>覚えたことはありませんでしたか。
「当時はそれが当たり前であったため、そのようなことは考えませんでした。」

>ということは死亡した方以外にも重症の栄養失調患者が出るような
>苦しさだったのでしょうか?
「全員何らかの形で栄養失調にはなりました。なくなった方は一人しかいませんでしたが・・・」
「栄養状態は最後まで改善されませんでした・・・・・」

みなさま、また機会がありましたら、よろしくお付き合いくださいませ。
本日はまことにありがとうございました。


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コメント

いい記事だった

こういう人の上に現在の平和があると感じることは本当に大切だと思う
GJ
#-|2006/08/03(木) 22:10 [ 編集 ]

前にも祖父と孫のコラボで戦時体験の質問を受けた記事を見たことがあるが、それと同様非常に興味深かった。こういう掲示板の活用方法ってすごくよいと思う。
祖父と孫の楽しそうな様子がまたほほえましい。
名無しさん@時効です #-|2006/08/03(木) 23:41 [ 編集 ]

「困った」と表現してるところが多々あるけど、実際は困ったどころじゃなかっただろうなあ…
#-|2006/08/04(金) 10:38 [ 編集 ]

こういう先輩方の「困った」と俺みたいな戦後の子の「困った」は重みが違うな。
淡々と振り返れるのは凄い。貫禄がある。
       #-|2006/08/08(火) 14:55 [ 編集 ]

もしかしてこれ、先日引退された木道さん?
#-|2013/01/04(金) 00:45 [ 編集 ]

戦争の記憶を生で聞けるのは我々世代がほぼ最後。
そう思うとなんともいえない感情がこみ上げる。
#FvXWb1i2|2013/01/04(金) 00:47 [ 編集 ]

シベリア抑留の話で興味深かったのが
同じ配給量(黒パン一切れと牛乳)だったドイツ兵捕虜が頗る健康で労働に従事していたこと。
消化酵素があっちとは違うみたいな事を言っていたなぁ。

あちらの人も日本人の食欲に驚いていたとか。
  #-|2013/01/04(金) 06:00 [ 編集 ]

うちのじっちゃまもシベリア抑留されてたというのをじっちゃまの葬式で知った。
もったいないことをした。
#Ld1mD80U|2013/01/04(金) 20:48 [ 編集 ]

うちのじいちゃんもシベリア行ってたけど、当時の事は話したがらなかったらしい。辛過ぎて。
この記事読んでその意味が分かったよ。
お年寄りは凄いね。大事にしないといかんよ。
#-|2013/01/06(日) 20:17 [ 編集 ]

父方の祖父もシベリア抑留されてたってのは聞いたけど、どこの所属までは聞いてなかったんだよなぁ
ゆとりある名無し #-|2014/01/17(金) 07:50 [ 編集 ]
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